
孤独と意識の進化
| ikiiki88 | Leave a comment無意識ではなく、意識的になる事で、進化を促せば、人は変われるか? |
神秘的な心理学的に捉えるならば
人間は無垢な状態、自然な状態で生まれてきます。
それは、無意識で、自我(エゴ)が無い状態です。
誕生の瞬間は、動物的であり、人間的な出来事では無いのです。
無意識的な進化の過程にあります。
成長と共に、選択の自由と共にはじめて人間性が始ります。
無意識的な進化は人間性の始りと共に終わり
意識的な進化(変革)が始ります。
意識的な進化は、特別な人間において始まるというわけではなく、
始める事を選んだら時に始まるもので、
もし、選ばなければ、現代人の殆どがそうであるように、
非常に張りつめた状態に陥る事になるのです。
過ちがあるにちがいないし、失敗も有るに違いない、
確実なものは何も無く、心に緊張を作り出します。
自分がどこにいるのか、どこに向かっているのかわからない。
アイデンティティは失われ、自滅的な考えを持つかもしれない。
積極的に自殺する勇気を持っていないかも知れない、
それでも、だらだらと過ごして死ぬのを待つという、
引き延ばされた自殺の過程を歩むかも知れない。
そして、新しい生は、問題を残したまま、
同じ様に続いていくことになるようです。
自分自身の進化の責任を神や宗教に負わせる |
進化に対する責任を誰か他の人に負わせる事は出来ないのです。
この状況を受け入れる事は、人間に強さをもたらし、
成長を促します。
責任を負わなくてもいいように、何の努力も無しに、神に依存し、
導師(グル)に依存して、
或いは、酒やドラッグなどの、私達を無意識にするものによって、
責任から逃れようとする行為は、問題をただ、後回しにするだけの
解決には至らないものです。
自分自身の進化の責任を負うのは自分 |
意識的な進化を選ぶならば、
自分ひとりに進化の責任が有ると「気づく」ようになります。
すると、無意識を通じてどんな逃避も無くなります。
あらゆる事が自分しだいなのだと知ります。
「神」でさえ自分次第なのです。
そしてその意識が強く大きくなるほど
「自分はひとりで有るという気づき」は大きくなるのです。
エゴが無くなり、神性が誕生する時 |
エゴは孤りの状態では存在できないのです。
エゴは他者との関係においてしか存在出来ない、
だから、揺らぐ事なく
「孤りで有ることの事実をありのままにただ受け入れるなら」
内に大きな可能性を秘めた「種子が出来る」
そして、「種子は」打ち砕かれ、神性が誕生する
その神性とひとつになる事が「全一性(ワンネス)」という意味なのです。
孤りで有る事をとおして「全一性(ワンネス)」に達する、
矛盾しているようですが、ひとりである事を認めることで、
人々と動物と植物と自然と地球と宇宙とは、ひとつであると、
感じることが出来るようになるのだとおもいます。
全一性(ワンネス)の偽りの代用品 |
群衆の一体感はいつも何かと対立しています。
宗教や政治的イデオロギーも幻想にすぎないのです。
これらは、個人的な責任が無いために、安心しますが、
これは、偽りの代用品と言えます。
孤りで有るという事実とともに生きる |
自分は孤りなんだという事実と共に生きること、
それは、骨が折れるし、困難もあるでしょう
けど、この真理を受け入れる事で、また、自分自信に対する、
責任と共に生きることで、修錬が自動的に訪れます。
あなたの一歩一歩が修錬となり、
ひとつの言葉さえ無責任に口に出す事は出来なくなります。
自分自身が孤りであることに気付くと、他人の苦しみも気づくようになりますし、
他人に対しても責任を感じるし、あらゆる人が「孤独で有る事」を知る。
ひとたび孤独を知れば、慈悲深く有るしかないのです。
事実と供に生きるなら、宗教的になる。
自分自身の主人(マスター)になる。
他者を所有したいという衝動は無くなり夫でも妻でもなく、
「愛する人」になる事が出来る。
慈悲と簡素さが生じて、無垢そのものになって行く。
「ひとりで有ること」と共に生きることのみ進化し、神性を得る事ができます。
自分の責任において、内なる変革を起こし、
自我(エゴ)の存在しない無垢な状態で有るならば、
神性は、いつでも喜びに満ちて向かって流れ込んで来ることになるでしょう。