
人生の最期に選ぶお葬式
| ikiiki88 | Leave a comment自分らしく人生を終える |
筆者は50代の後半を迎え、自分の人生を振り返る機会が、
若い時よりも、確実に増えたと思います。
それは、父が他界した事や、病院勤務時代に、
亡くなる方々と接してきた事が、きっかけとなって
いるとは思うのですが、
振り返りをしてみると、色々な経験も、まわり道も、
人との出会いも、決して無駄な事ではなく、
すべてが、今の自分のカラーを作る必要な要素であると感じるのです。
人間は、いつかは、死の瞬間を迎えます。
相当特別な仙人やヒマラヤ聖者のような人で無い限り、
いつかは、ほぼ確実に、死を迎える時が来るのです。
その時に後悔ばかり、残る事の無いように、
自分の生き方を考え、周りの人や家族の事も考え、
自分らしく人生を終えられる様にしたいな〜〜
と思っています。
家族の死を経験する |
私自信、何度かの過去世の記憶が、時々、ランダムに甦る様な
瞬間はあるものの、妄想かな?とか、思い込みでかな?とも取れますし、
肉体の死後も魂は生き続ける、別の次元で生きていると、
確信しているのですが、
しかしながら、父が亡くなった時には、
さすがに、冷静ではいられませんでした。
残された者としては、死者とはもう2度と会えなくなる訳ですから、
寂しいし、辛いし、哀しいし、苦しいし・・・・
しばらくは、辛い時間を過ごす事になる訳です。
葬儀は誰の為にやるのか |
父が亡くなった時に、ボーッとした抜け殻の様な心のまま、
その日のうちに、追い立てられるように、
次にやる事を決めて行く必要がありました。
病院の費用を清算したり、葬儀屋さんと連絡を取り、
柩を運ぶ業者さんと打ち合わせしたり、
次の日にまた、病院に行き、業者さんに
葬儀社に運んでもらい、葬儀社の方と、
火葬場の空きの確認後に日取りを決定し、
葬儀の規模や葬儀に出席するひとの数、
料理やお礼や細かな事を打合せをして、とても、
故人との分かれを哀しんでいる暇も無かった事を覚えています。
葬儀は誰の為にやるのか?それは故人の人生を尊厳を持って尊び、
感謝の意を評し、そして、残された家族や友人達が、
故人への想いや、動揺する心と感情を腹に納める為に行うのだと思いました。
葬儀屋さんとお墓を生前に準備していた |
有り難かったのは、
父は生前に、地域の葬儀屋さんと知り合いであった事と、
お墓を準備してあった事、
この2つは、何も予備知識も無い私にとっては、とてもありがたい事でした。
何よりも、事がスムーズに運び、信頼して葬儀を任せる事が出来たので、
私はただ、参列して下さった親戚や知人の方々への気配りだけで、
済んだことです。
葬儀屋さんは、火葬場や、葬儀後の納骨まで、すべて段取りして下さったので、
本当に助かりました。
御高齢のご家族のいらっしゃる方 |
ご家族が御高齢であれば、いつ、その時が来てもおかしく無いのです。
悲しい事は、なるべく考えるのも嫌な筆者は、
自分では何もしなかったのですが、
ありがたい事に、親は準備をしていてくれました。
何だか複雑な思いですが、助かった事も事実でした。
なので、少しだけでも、下調べをしておく事をお勧めします。